自分のこと

不安障害から双極性障害へー休職から丸1年、心の病歴をすべて公開します

こんにちは、はたけのです。

 

僕と親しい方や、プロフィールを読んでくださった方は知っている方も多いでしょうが、僕は以前会社員だったころ、不安障害という病気で動けなくなった経験があります。

 

そのときは、急な動悸や過呼吸、多汗などの症状がありました。

ただ、その原因となった仕事を辞めたことで症状は落ち着いていますし、最近の僕に実際に会った方なら、僕はピンピンしているように見えるでしょう。

 

が。

実は別の心の病がありました、ということをここでカミングアウトします。

 

同情を求めるつもりは毛頭ありません。

でも、隠して生きるのは、歯にモノが挟まったようで、なんだか嫌なんです。

 

なお、本稿は計画的に執筆した記事ではありません。

ふと思い立ってこの記事を書いていますが、執筆している今日2018年8月1日は、僕が”最初の”病気で休職に入ってからくしくも丸1年となる節目の日でした。

 

2017年の夏、不安障害で僕は動けなくなった

プロフィールにも書いているように、僕が不安障害になったのは仕事のストレスが原因でした。

出版社からIT企業に転職した2017年2月。

 

新しい環境ながらも、楽しく仕事をさせてもらっていました。

でも、ひとつだけ決定的な問題があったのです。

それは上司との確執でした。

 

上司はめちゃくちゃ仕事のできる人で尊敬もしていましたが、部下に優秀な歯車になることを第一に求める人でした。

 

「誰に任せても、全員が全員同じクオリティで仕事をしてほしい」

そんなことをよく言っていて、一人ひとりの個性を大切にしたいという僕の考え方とは対極に位置していたのです。

 

それでも僕は、「そういう考え方だってあるし、上司の考え方も個性として尊重しよう」と思い、耐えていました。

ただ、その人がとても優秀な仕事人であったがゆえに組織にはそのイズムが染みついていて……衝突をする相手が上司だけではなくなりました。

四面楚歌、というやつです。

 

上司を含め、僕の周りにいる人たちはみんないい人であることはわかっていました。

だからこそ、いざこざを繰り返す日々が余計に辛い。

無益な争いほど、ヒトを消耗させるものもありません。

 

そのストレスは、原因不明の下痢という形で5月から徐々に発露していくことになります。

 

7月に入ると動悸や息切れ、多汗、過呼吸などが発作的に出て、5分ほどその場から動けなくなることもしばしばでした。

高校時代からの友人と気分転換に大阪に旅行に行ったこともありましたが、その間も裏で症状は出続け、隠し通すのに必死。

夜、12年来の友人の横で寝ている際にはこんな疑念にかられました。

 

何のために旅行に来たんだろう。

俺は何をしているんだろう。

 

 

帰京後は、仕事中や会社に向かう道中はもちろん、街を歩いていても急にその発作が出ることもあり、連日の発作にこのまま死ぬのかなとすら思わされる日々。

思考はロックされ、逃げ道は自然とふさがれてしまっていました。

 

限界を悟った僕は、いつもの病院に予約なしで駆け込むことになります。

たった3日後の次回の予約日まで、生き残れる自信がなかったからです。

 

そして医師に書いてもらった休職のための診断書。

そこにあった病名は「不安障害」でした。

ときに、2017年7月27日。

 

不安障害とはどんな病気か

僕が患った不安障害という病気。

簡単に書くと、不安や恐怖を異常なほど大きく感じてしまうようになり、身体的・精神的苦痛が生じる……というものです。

 

精神科医監修の記事から引用しておきますので、詳しく知りたい方は以下をどうぞ。

不安障害とは、状況や具体的なものに対して、過剰に不安、恐怖を感じ、それにより様々な影響が身体と精神に現れ、社会生活を送ることに支障が出てしまう疾患です。

(中略)

不安や恐怖は、人間誰しもが感じる自然な感覚です。不安、恐怖を感じて、体が緊張したり、用心深くなったりすることは、危機に対する準備とも言え、人間が安全を守る上で必要な身体反応です。

しかし、不安や恐怖を、その対象に釣り合わないほど過剰に大きく感じ、それによって現れた身体的、精神的苦痛が日常生活を送れないほどのものである場合、不安障害の疑いがあります。

(中略)

不安障害のある人が「不安、恐怖を感じる対象」は、多岐にわたり、クモや飛行機といった具体的なものから、愛する人との別れ、大勢の人の前で話す、広い場所にいるなど、経験や状況も含まれます。また、不安障害によって生じる症状も人によって様々です。例えば、憂うつな気分、不安感、意欲や集中力の低下、イライラ感などといった精神的な反応が挙げられます、また、身体的な反応として、頭痛、動悸、汗が異常に出る等の症状も挙げられます。

(後略)

LITALICO 発達ナビより引用

 

不安障害は、かなり範囲の広い病気です。

人前でしゃべることや人ごみに入ることなどを過度に恐れてしまう、いわゆる対人恐怖症も不安障害に含まれます。

 

有名な例としては、先のロシアワールドカップでも大活躍した日本代表の柴崎岳選手が有名ではないでしょうか。

初の海外挑戦としてスペインリーグ2部のテネリフェに移籍した際、環境になじめなかったことがきっかけでしばらく試合に出れない時期がありました。

その際に柴崎選手が患っていた病こそ、僕と同じ不安障害でした。

 

もうお分かりかと思いますが、人によって、不安の原因となることや症状の発露の仕方も様々です。

僕の場合は「いまの会社で働くこと」が大きな不安材料になっていました。

 

僕の”最初の”病気に関しては以上です。

 

休職したら不安障害の発作は確かに出なくなった

休職に入ったのは、2017年の8月1日からでした。

 

身体とはとても素直なもの。

会社に行かなくなってからものの1週間程度で、上に書いたような急な発作はサッパリ出なくなりました。

残った症状は不眠だけで、1か月もたつ頃には、自分に不安障害という病名がついている事実にすら違和感を感じるほどです。

 

でも。

 

なんだか気分が晴れません。

日々の行動にやる気が出ない。

いわゆる抑うつ状態で、酷い日は丸1日寝ていることもありました。

 

その状況を見た医者は、抗うつ剤などを出してくれました。

でも症状は一向に良くなりません。

2017年内はほとんど抜け殻のような日々を過ごすことになります。

 

せっかく生きているのに、何も産めない。

そんな状況になってしまったことがただただ悔しかった。

でも、見えない鎖にがんじがらめになって、動きたくても動けない。

仕事を休んで楽になったはずなのに、僕の心には毎日チクチクと針が刺さり続け、むしろのようになっていました。

 

当初、休職の期間は3か月、つまり10月いっぱいまででした。

ですが、僕の症状がよくならない主治医、さらには産業医の判断で結局あと3か月、合計で半年間、2018年2月まで休職をすることになります。

 

迎えた2018年2月。

リハビリという名目で久々に会社に顔を出したその日、僕の病名はすでに変わっていました。

 

2018年1月、検査を経て双極性障害と診断された

診断が変わったのは、2018年1月のこと。

 

2017年末、僕の症状が改善しないことを不思議に思った主治医は、4時間ほどかかる大掛かりな心理検査を受けることを僕にすすめました。

 

正月を挟み、2日にわたって行われた検査。

「心理検査」としか聞かされず受検したその検査は、あとから調べると「ロールシャッハテスト」と言われるものと、詳細なIQテストの2つから成り立っていました。

そしてその検査結果として判明した事実は、以降の僕の生き方に大きな影を落とすことになります。

 

 

検査結果を聞きに行った日のこと。

2日間にもおよぶ僕の検査を担当してくれた臨床心理士の方からは、こんなことを言われました。

 

  • 天性のものとして、心の波が激しい。
  • QOL(クオリティオブライフ)をキープするには、薬で心の波を抑えたほうがよい。
  • 組織で働くことに向かない性格である。
  • 望まない仕事をすると、うつ症状が再発する可能性が高い。

僕の性格は自覚していましたし、気分の波を抑えるために薬を飲めというのはともかくとしても、心理士の方の言葉は、僕の予想の範囲内に収まっていました。

 

しかし、これはオブラートに包んだ表現でもありました。

もしかしたら、僕は本当のことを知るのが怖かったのかもしれません。

 

そんな僕の心の壁を、主治医のストレートな言葉がたたき割ります。

 

「君、双極性障害だったんだねー。あとアスペルガー症候群の傾向があるかもー」

 

いかにも納得感のあるような主治医の顔。

あっさりと告げられたその病名。

どうやっても解釈を曲げられない明確な言葉は、僕の心に深く突き刺さりました。

 

診断書双極性障害の文字が初めて記載された僕の診断書。文字で改めて見たときは、また事実を突きつけられた気がした

 

※後者のアスペルガー症候群については治療が必要なレベルとは言われていません。ただ、このときに告げられたことは事実なので、書かせていただきました。

 

双極性障害とはどんな病気か

僕の”新しい”病気、双極性障害。

いわゆる躁うつ病です。

不安障害より有名な病気であるゆえ、ご存知の方も多いでしょう。

 

気分の波が非常に激しく、うつ状態と逆にテンションが異様に高い躁状態を繰り返す、気分障害です。

厚労省の説明を引用しておきます。

 

双極性障害は、精神疾患の中でも気分障害と分類されている疾患のひとつです。うつ状態だけが起こる病気を「うつ病」といいますが、このうつ病とほとんど同じうつ状態に加え、うつ状態とは対極の躁状態も現れ、これらをくりかえす、慢性の病気です。

(中略)

双極性障害は、躁状態の程度によって二つに分類されます。

家庭や仕事に重大な支障をきたし、人生に大きな傷跡を残してしまいかねないため、入院が必要になるほどの激しい状態を「躁状態」といいます。一方、はたから見ても明らかに気分が高揚していて、眠らなくても平気で、ふだんより調子がよく、仕事もはかどるけれど、本人も周囲の人もそれほどは困らない程度の状態を「軽躁状態」といいます。

うつ状態に加え、激しい躁状態が起こる双極性障害を「双極I型障害」といいます。うつ状態に加え、軽躁状態が起こる双極性障害を「双極II型障害」といいます。 双極性障害は、精神疾患の中でも治療法や対処法が比較的整っている病気で、薬でコントロールすれば、それまでと変わらない生活をおくることが十分に可能です。

(後略)

厚生労働省ホームページより引用

 

ちょっと長いですが、わかりやすい説明ですね。

 

ちなみに双極性障害に1型と2型がありまして、気分の波の形に違いがあります。

  • 1型の場合は躁の波が大きく、うつの波が小さめ
  • 2型の場合はうつの波が大きく、躁の波が小さめ

という区分です。

 

僕は、型について(現時点では)医者から言われていません。

が、たぶん2型じゃないかなと思っています。

というのも、1型の人は躁状態が悪化し、暴れるなどして措置入院になるケースが多いそうです。

僕は少なくともいまのところではそれほどまでに悪化していないので、2型ではないかと推測しています。

 

双極性障害の患者数は、欧米では人口の2~3%に上るそうで、有名人も多数罹患しています。

特にクリエイティブな職業の人に多く、古くは作曲家のベートーヴェン、シューマンや画家のゴッホ。

作家ではヘミングウェイ、夏目漱石や宮沢賢治、太宰治、遠藤周作、北杜夫。

意外なところでは、第二次世界大戦のイギリスを指揮したチャーチル、旧ソ連の第4代目の指導者であるフルシチョフも。

もちろん全員がその診断を受けているわけではありませんが、専門家が彼らは双極的障害だったと判断しているそうです。

 

上記は歴史上の人物ですが、現代ではアクセル・ローズやマライア・キャリー、キャリー・フィッシャー、日本人では中島らも、玉置浩二、泰葉、開高健など。

特に建築家・作家の坂口恭平さんは自身が双極性障害を患っている事実を特に積極的に公表しており、患者の自殺を防ぐ活動もされています。

 

そう、双極性障害には、患者に自殺者が多い病気という側面もあります。

ある記事によれば、双極性障害患者の自殺率はうつ病の2倍、健常者の25倍だそうです。

 

僕は診断が下りる前から双極性障害患者には自殺者が多いという事実を知っていました。

だからこそ、自身が双極性障害であると診断されたときのショックは尋常ではありませんでした。

 

いまの僕には希死念慮(死にたいという思い)はありません。

むしろ、絶対に死にたくない。

まだ僕にはやることがあるから。

 

でも、将来いつそんな思いに襲われてしまうかわかりません。

そのリスクは、これから一生僕について回るのです。

 

双極性障害の公表を決意させた、あの言葉

僕が双極性障害だという事実を、まず最初に伝えたのが両親でした。

そのときに母親から言われた言葉は、嫌な事実をつきつけられてただでさえ傷を負っていた僕の心をさらに蹂躙しました。

 

「普通に育てたのに、なんでそんな病気になるの」

 

僕は年の離れた末っ子で、親には僕が過保護と思うほどの愛情を受けて育ちました。

だから、彼女なりの並々ならぬ思いがあったのは理解しています。

でも、僕には僕の「普通」がある。

 

病気になった人の気持ちは、その当人にしかわからないもの。

僕の心の内を100%理解してくれと言ったって無理があります。

だから僕も、病気の苦しみを理解してくれだなんて、そんなこと求めてはいませんでした。

 

 

でも。

 

 

双極性障害は誰だってかかりうる病気。

僕は双極性障害になりたくてなったわけではないのです。

母親の一言は僕の心を槍のごとく貫通し、深い穴をあけました。

 

 

双極性障害は、障害者手帳がとれる病気です。

僕はまだ取得してはいませんが、税制面などで優遇措置があることから将来的に申請することも検討しています。

 

障害者手帳の申請を考えている。

ふとしたときに親にその事実を伝えてしまい、今度はこう言われました。

「そんなことしたら、あなたの病気が周りに知られるし、世間にどう思われるか分からない」

 

その言葉を聞いて、もう心を決めました。

病気のことを公表しようと。

これ以上、クソ真面目に傷つくのは止めようと。

 

双極性障害であることを明かして、精一杯やる

幸いながら、僕のケースではラミクタールという薬のおかげで双極性障害の症状はある程度落ち着かせることができました。

2018年も前半のうちでは一人のときにうつがひどいことも多かったのですが、最近ではそれほどでもありません。

 

だからこそ、一時期力が抜けていたブログにまた注力していますし、アホなダイエット企画にもトライしています。

 

一方で、世間には僕と同じ病気で苦しんでいる人もたくさんいます。

僕は診断を下されてまだ7か月ほどですし、あまり双極性障害の怖さを知らないのかもしれません。

長年この病気に苦しんでいる方々からしたら「そんなん甘いよ」と思われることもあるでしょう。

 

ですが、双極性障害を持つ僕がブロガーとして発信することは、今後この病気にかかってしまった方々に向けてわずかながらでも光になるはずですし、そうであると信じています。

 

「世間にどう思われるか分からない」

 

その言葉に対しての僕の返答はこうです。

 

「本当の自分を晒して、良く思われるように精一杯頑張ります」

 

双極性障害であることを隠すほうが生き辛かった

双極性障害と診断されてから半年以上。

その間、ブロガー界隈を中心にたくさんの人に会ってきました。

 

当初から、不安障害で退職したことは公表していた僕。

でも、双極性障害というもうひとつの心の病については、ほとんど語ることはありませんでした。

 

元気に酒を飲んだり、デカい声で口数多く話している僕を見て、多くの人は「にぎやかなヤツだな」と思われたでしょう。

 

でも、そのにぎやかさの裏には、双極性障害という病気があったのです。

 

人と話すのは大好きですし、エネルギッシュなキャラクターは僕の側面であることは間違いありません。

でも、それはあくまでひとつの側面であって僕のすべてではないのです。

家に帰ったとたんうつになり、ベッドの上で丸一日寝るしかないこともあったのですから。

 

 

「はたけのさんっていつも元気だよね」

 

そんなことをいわれるたびに、違和感を禁じえませんでした。

 

でも、双極性障害であるという事実をこの記事で公表したいま、僕の心はとても楽になっています。

隠しているほうが辛かったから。

 

僕からみなさんへ、ただひとつだけのお願い

最後になりますが、もう一度書いておきます。

僕は読者の方々からの同情を求めているわけではありません。

こんな病になってしまったから、お見舞いをくれと言うわけでもありません。

 

オンラインでも、オフラインでも。

いままで通り僕に接してください。

それが唯一の願いです。

 

僕は僕のまま。

好きなように頑張っていきます。


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