自分のこと

【1万6000字超!】はたけのってどんなヤツ? 超詳細プロフィール

プロフィールを読みにきてくれたあなた、はじめまして。

著者の「はたけの」です。

 

このページでは主に以下3つのことをお伝えしたいと思います。

まず、いまの僕について。

それから、過去の僕について。

そして、これからの僕について。

 

書けることはすべて書いて、できる限り細かく伝えよう! と思って執筆したためかなり長くなってしまいました。

でも、赤字の部分だけ読めばざっくり内容がつかめるようにはしてありますから、そこの部分にだけ触れて読んでいただければだいたい理解はできると思います。

 

このブログには、僕の29年の経験を込めています。

このプロフィールには、僕が「自分勝手に生きる」と決めた理由か書いてあります。

日常につかれた、もう自分の好きなように行きたい、そんなあなたに読んでほしい、僕の渾身の自己紹介を記します。

 

はたけの
はたけの
最後まで読んでいただけたら、本当にうれしいです!

 

まずはいまの僕について知ってください

名前「はたけの」の由来

僕の本名は畑野(はたの)といいます。

それが、なぜはたけのなったのか。話は高校時代にさかのぼります。

高校1年生のとき、僕が所属していたクラスには、僕と、もう一人はたの(秦野)くんがいました。そのため、名前を呼ばれるだけでは区別がつかなかったのですが、とある数学の先生が僕のことを「はたけの」と呼ぶようになってから、それが定着。

当時はちょっと違和感がありましたが、不思議なもので時が経ったいまでは結構気に入っています。

別に、高校時代のように若々しくいようと思っているわけではありませんが(笑)そのときの名前をそのまま使っているというわけです。

 

性格:マイペースで社交的、楽天家。

・かなりのマイペースで、人に指示されるのを嫌う。

変わり者とよく言われるし、自覚もしている。

よくしゃべる。しゃべりすぎていつも反省。

・ひとりより、誰かと一緒のほうが好き。

好奇心が原動力。

楽天家。根拠はないのに、どうにかなると思っている。

声がデカい。居酒屋で注文を入れるときには重宝される。

やさしいとよく言われる……が怒るととっても怖いらしい。でもほとんど怒らない。

・理屈っぽいとよく言われるが、実は直感的に生きている。

座右の銘

「やらずに後悔より、やって反省」

 

好きなもの:多すぎて書ききれない。

趣味が多くて困るくらいな僕。そのうちの一部をご紹介します。

 

阪神タイガース

「アンチ巨人だから」という理由だけで阪神ファンになり、ファン歴はもうすこしで20年。東京住まいながら、シーズン中はしばしば甲子園まで行っちゃいます。

ちなみに最も好きな選手は濱中 治(現2軍打撃コーチ)。

 

生き物飼育、特に爬虫類!

たくさんのメダカ、チズガメ、ホシガメ、ヒョウモントカゲモドキを飼育中。

将来飼いたい動物は、ヨウム、ブラジルレインボーボア(ヘビ)、ジャイアントミリピード(ヤスデ)。

 

日本史

史跡や博物館を好んで巡ります。

歴史の香りがする寺社や仏閣にもしばしば足を運び、中学生時代から集めている御朱印帳はなんと3冊目に突入。

好きな歴史上の人物は、松永久秀、真田昌幸、坪井航三など。

 

お酒

なんでも飲みますが、特に好きなのは日本酒とビール。

好きな銘柄は、日本酒なら紀土、磯自慢、新政、眞稜など。ジャパニーズクラフトビールがマイブーム。

よく記憶を失いますが、家に帰れなかったことはありませんw

 

自転車

大学への自転車通学がきっかけでドはまり。

いまの愛車はCANONDALE SUPERSIX EVO。定価26万円ほどするところ、Y’s Roadさんのイベントで10万円で買わせてもらったお値打ちの一台です。

ちなみに過去に20万円のCOLNAGOを盗まれたことがあります……

 

ゲーム

好きなタイトルはWorld of Warships、龍が如く、Far Cry、信長の野望など。

考えるプレイは得意だけれど、激しいアクションプレイが苦手です。

ボードゲームも好きで、麻雀をこよなく愛しています。麻雀好きが高じて、「ブロガー麻雀選手権」なるイベントを主催。最近は将棋も好きです。

 

読書

ノンフィクションしか読んでいなかったけれど、最近は小説も。

森絵都さんのドロドロ……でも最後にトロッとくるヒューマンドラマが好きです。

 

秋葉原

あらゆる意味でカオスなこの街が好きです。出版社にいたころは秋葉原の写真集も作らせていただきました。

特に好きなスポットは、カフェ・Vaultさん。コーヒーがとてもおいしいです。

 

書こうと思えばまだまだ書けます。和服とか、欧州サッカーとか、プロレスとか、アニメとか。趣味が多すぎて困るレベルです。

でも好きなものを減らそうとは思いません。むしろ増やしたい。そのひとつひとつが僕の色を作っているから。

人間の個性って、“好きの掛け算”だと思うんです。

 

簡単な経歴:僕が好き勝手生きると決めるまで。

大学卒業まで~エリートコースを自ら脱線

・1989年4月10日、池袋の飲食店のセガレとして誕生。

・教育ママと化した母親に、私立の小学校へ叩き込まれる。

・小学1年生時、学校主催のふれあい動物園イベントで、初めてヘビを首に巻く。爬虫類にヒトメボレ。

中学受験をして、東大に現役で30人近くを入れる都内の中高一貫の私立進学校に入学。

・中学受験で燃え尽き、勉強への熱意が一切なくなる。

・当時運動嫌いだったため、運動部に入ることをまったく考えず、歴史研究部に入部。

・先輩の悪(?)影響で中1にしてエロゲに出会う。中2で麻雀を覚える。

高1のころには帰宅部に転向。怠けた生活を送りゲーセンに通いまくる。

・アーケードゲーム「麻雀格闘倶楽部」の全国ランカーに一瞬入る。

・高校に入学以降、下がり続ける成績に危機感を抱き、なんとか持ち直す。

・高2時、文化祭の実行委員になり、楽しく焼きそばを焼く。

・推薦を確保し、日本史の研究者になるつもりで早稲田大学に進学。

・大学入学前の春休みに「新世紀エヴァンゲリオン」を初めて観てオタク化が急進行。

・1年時に受けた日本史の授業がつまらなすぎて幻滅。日本史を専攻するのをやめる。

・アニメが好きになり、映像専攻の道へ狂気あふれる最高のクラスメートたちと出会う。

・大学3年の冬、クリスマスイブに腹膜炎になり、さらには春休みに自転車事故で腰を骨折し休学。休学中はオタクライフを満喫し、ほとんど遊んで過ごす。いま思えば、後々の貯金になることをしておけばよかったなあと後悔。

・翌年就活してIT広告企業から内定を得るも、ブラックっぽくて行くのをやめる。教授に頼んで単位を落としてもらい、半年だけ就職留年。

・とある出版社から内定をもらい、2013年9月に1年半遅れで大学を卒業。

 

社会人になってから~まだ会社で消耗してるの?

・2014年4月、割と名の知れている出版社に入社。

1年目、130時間/月の残業を経験。ゲロゲロにきつい編集部で社会の荒波にもまれる。

2年目、ホワイトな部署に異動し、自分の時間があることの喜びを痛感。このころ、4か月で18㎏の減量に成功する。

3年目。再びブラックな部署へ異動。「なぜ働いているのか」分からなくなる。

・2017年2月、環境を変えたい一心で転職。大手のIT企業に入社する。

・転職先の司とまるで性格が合わず、ストレスで倒れて休職。

・職場に戻ろうとするも、その職場でメンタル不調者が続出していた。怖くなって結局退社。

「もう自由に生きるぞ!」と誓い、フリーライターとして独立。

・休職中、「自分の作りたいものを作るため」にこのブログを設立。

 

まだほかにも書きたいことが山ほどある……ので詳しい生い立ちはこの下に書いていきます。

 

 

はたけのの生い立ちについてもっと詳しく

以下がこのプロフィールのメインコンテンツであり、16000字超にもなってしまった元凶です。

上で書いた内容と被るところもありますが、以下では僕の生い立ちについてなるったけ詳しく書いていきます。

あけっぴろげに書いているので、読まれるのが少し恥ずかしいです(笑)

 

なお最初に断っておきますが、幼少期~高校時代まで写真がありません。

昔の僕、恥ずかしがり屋ゆえに写真嫌いで、高校時代までの写真はほぼ残っていないのです。もっと撮られておけばよかった……、といまさら悔しがっています。

 

生まれと家族:母親が2人いるような家族環境

はたけの、生まれる

僕は1989年4月10日、東京の飲食店のセガレに生まれました。豊島区は池袋で生まれ育った超都会っ子です。

都会生まれという理由から、田舎にとても憧れがあります。両親の故郷は愛知なのですが、子供のころにそこへ家族で帰った際にはかなりはしゃいでいた記憶があります。

両親には「田舎は不便だぞー」と散々言われていましたが、雑踏が当たり前のなかで育った僕としては、ないものねだりをしてしまうのかもしれません。

 

さて、僕の誕生時点で既に特筆すべきことがあります。それは、サザエさんもびっくりの家族の年齢構成。

僕が生まれた時点で父親は50才! 母親は41才! 姉は18才!

姉の上には事故で亡くなっていた兄がおり、もし存命なら僕が生まれたときは21才。数字にしてみると、かなりジェネレーションギャップのある家族だということがわかると思います。

めちゃめちゃ年の離れた末っ子の僕にとっては、母が2人もいるような環境でした。この家族構成は僕の人生にかなり大きな影響を与えていて、世代差ゆえの家族内での意見の食い違いなどが多発する原因にもなりました。

生まれてから30年近く経った現在でも、家族内での世代格差を常に感じています。

 

はたけのの家族は個性派揃い

さて、そんな世代格差あふれる僕の家族を紹介していきます。

家族の紹介をここまで詳しく書くのは初めてかもしれません。

家族の年齢誕生時の僕の家族構成。年齢差ヤベえ。

 

父親:仕事一筋の職人肌

ギリギリ戦前生まれの父親は、戦後すぐに両親を失い親戚の下で育てられた苦労人。

中学卒業後、若干15歳で地元の愛知から単身上京し、10年ほど修業したのちに飲食店を開業。人気店を一代でつくりあげました。

そんな彼は、仕事上のエピソードは数知れない超絶仕事人間。夜中の3時まで厨房に立っていたとか、足を骨折していたのに厨房に入り続けたとか。

この父親を常日頃見ていた僕は「俺はこんなに働けないや……」と絶望感すら抱きました。お店を継がなかったのもそのせいです。

父親も「この店は誰にも継げない」と言っていましたし、自分の仕事量を自覚していたのでしょう。

はたけの
はたけの
いまとなってはただただ尊敬。

 

母親:愛情深すぎて空回りしまくる、リアルツンデレ

父親が28歳のとき、若干20才で嫁ぎ、店と家庭を支えてきた僕の母親。

40歳という高齢にもかかわらず僕を産んでくれたことには感謝しかありません。

この母親を特徴づけるのは、あまりにきつい言葉のトゲ。

語録を挙げればキリがなく、ひどいときには「私は子供を産んで不幸になった!」とまで言われました。自分で産んでおきながらよく言えるなーと思います。

ですがこのような言葉は、母親なりの不器用すぎる愛情表現のひとつで、実はとても面倒見がいい人なのです。

ツンデレってこういう人のようなことを言うんでしょうが、現実に存在するととても疲れますw

はたけの
はたけの
ツンデレは2次元だけにしてほしい。

 

姉:ありえないほどの人当たりの良さだけで生きている。

18歳上の僕の姉は、どうしてこうなったといいたくなるレベルの天然っぷり。

方向音痴だし、車の運転をさせると命の危機を感じますw

ですが話し相手を和ませる才能には抜群に秀でていて、誰からも好かれる謎の能力を持っており、もはやそれだけで生きているレベルの人。

スーパーのレジのパートをしていたときには、常連客のおじいちゃんおばあちゃんがいろいろなものをくれたそうで……そんな話を聞くたびに、僕の姉は人から好かれているんだなあと実感させられます。

「いままで会ったことのある人のなかで、一番人当たりのいい人を答えろ」と言われたら、僕はノータイムで姉の名を挙げます。それくらい親しみやすい人です。

そんな姉の性格のおかげもあって、生まれてこのかた姉弟仲はずっと良好。

はたけの
はたけの
俺がガキのころ、姉貴の携帯の連絡帳全消ししてごめんなさい。

 

幼少時代:変わり者の片鱗を見せて育つ

僕は自分で「変人」であることを自覚・自称しています。

変わっている変わっているといろいろな人から言われ、ついには変人自称までたどり着いた僕の変わりっぷり。

なにが変わっているかというと、徹底的にマイペースで、みんなと同じことをするのが嫌い、ということに割と集約されると思うのですが……

その片鱗は、幼少のころからすでにありました。

 

僕が保育園児のころ友だちが大縄跳びをしているのを見て、「あなたも入りなよ」促した母親に対して僕が放った言葉。

はたけのボーイ
はたけのボーイ
こんなバカバカしいことできない!

 

僕がこの発言をしたことを知ったのは、幼少のころの記憶を失ってからのことなのですが「俺らしいよなあ」と思いました。

ですが、その場にいた母親は当然のことながら困惑したそうです。

「こんなやつが公立校に行ったらいじめられるに違いない」と思った母親は、僕を私立の小学校に入学させることになるのでした。

まあそんなヤツ、結局どこへ行ってもいじめられるんですけどねw

 

その私立の小学校へは電車通学だったため、地元の同年代の友達はほぼゼロ。マイペースながらも人と一緒が好きな僕としては正直かなり寂しかったです。

なんともいえない疎外感を抱きながら、小学校6年間を過ごすことになりました。

 

その私立の小学校へ入ってよかったことは、「1年生のふれあい動物園でニシキヘビを首に巻けた」ことくらいですかねw

僕の右肩から顔を出してペロッと舌を出すニシキヘビとそのつぶらな瞳。

僕が爬虫類にヒトメボレした瞬間でした。

 

ちなみに。

10才の11月29日、体育の授業で馬跳びの馬をした際、なぜか左足のスネを骨折。

11才の11月29日、駅の階段から落ちて踊り場に手をついたら、なんと両手を骨折。

厄日の存在とともに、運動神経がないことを思い知らされました。

11月29日は、いまでも注意して過ごしています。

幼少のころはもともと運動が嫌いだった僕ですが、特に10才時の体育の授業での骨折は、運動嫌いへの決定打を打つことになりました。痛いですもん。

その後の僕が運動の楽しみを知るのは、大学生になって以降の話です。

はたけの
はたけの
両手骨折したときは「ポキッ♪」って音が聞こえました。

 

青春時代:中学受験と、脱線。

中学受験:勉強はできたけれど

勉強

幸いにも勉強ができるほうだった僕は、中学受験をし、私立の中高一貫校に入学。

とはいっても、僕から望んでした中学受験ではありません。僕の母親は、小4のとき遊びたがっていた僕を強制的に塾へと入れました。

その塾はスパルタ指導が有名な塾。ちょっとよそ見をしていると名簿で叩かれたり、やりたかったゲームを没収されたり、いろいろな抑圧を受けて過ごしました。

特に小6の夏は、毎日10時間以上勉強をする地獄の日々。我ながらよくやったなと思います。小学生という精神的にも、肉体的にもまだ子供な時期に、1日10時間の勉強をするのはなかなか大変なのことなのです。

幸い勉強の才能はあった僕は、成績面では全国の模試でも1桁の順位をたびたびとるなど、僕の人生最盛期の頭の良さを発揮していました。が、元来マイペースな性格なため、うっぷんをためにため込んでいきます。

いくら結果が出ていたとしても、自分がやりたくない勉強で時間がつぶされていくのがたまらなく許せませんでした。

はたけの
はたけの
中学受験に限らず、「本人の意思でやる」ことが何より大切ですよ。

 

脱線:押し付けられた普通は、もうこりごりだった

繰り返すようになりますが、両親、特に母親は僕を“レールに乗せて”育て上げようとしていました

僕が私立の小学校に入学したことも、中学受験をしたことも、母親の意思。

母親曰く「真面目に勉強して、公務員や銀行員のような堅実な仕事についてほしかった」らしいです。しかもその理由は「占い師にこの子は堅い仕事に就かせないとだめになる」と言われたから……と大人になってから知りました。

 

はたけの
はたけの
アホか。

 

僕はオカルトは信じないので、占いやスピリチュアルは最も嫌いな分野の話なのです。それによって自分の人生が決められようとしていたと思うと恐怖すら感じますよ。

だから結果的に、自分勝手に生きると決めることができたのは良かったなと思っています。

 

さて中学に入ると同時に、これまた親の考えで僕は英語の塾に入れられました。ですがそのころには「自分の力でレールから外れる」ことを決意していました。

7月ごろに自分からその塾に電話して退塾の意志を説明、勝手に退塾したのでした。もちろん親には無断での行動です。

散々怒られましたがこれまでずっと抑圧されてきた僕にとってはむしろすがすがしいくらいで、これが長い反抗期の入り口となります。

ゲーセンに通ってみたり、勉強はロクにせず人生初の赤点を取ってみたり。

学校の先輩からエロゲ「水夏」を借りて、全ルート攻略したのもいい思い出w

高校のころには、麻雀格闘倶楽部の全国ランキング19位に一瞬だけ入ったこともありました。(お金がもったいないのでやめましたw)

 

まあでも、ここまで堕落すると親もさすがに激怒します。

あまりに言うことを聞かない中学3年時の僕は、1回だけながらもいまは仲の良い父親と殴り合いのけんかを演じたことすらありました。でもこれが、反抗期を抜け出す契機になったのです。

実は小6のころ、一度だけ塾へ行くことをボイコットしたことがありました。その際は怒った父親から尻に青あざができるほど鉄の棒で一方的に叩かれてしまいました。殴り合いのけんかを演じたのはその4年後のこと。僕は思いっきり、父親に(もちろん素手で)立ち向かったのでした。

その勝敗は伏せておきますがw、僕の決死の抵抗を見た両親は「レールに乗せること」をあきらめてくれました。

はたけの
はたけの
いま思えば本当に親不孝ですし、手荒な方法だったなと思います……。

 

高校生以降は僕のやりたいようにやらせてくれた僕の両親。おかげで僕の勉強への意欲も復活、成績を持ち直して大学受験を回避。推薦で早稲田大学に入ることができました。

強引すぎるレールの外れ方だったけれど、いい勉強になりました。やっぱり押し付けな教育はだめなんです。

抑圧されるのではなく、個性のままに生きたほうが人間は自然な成長ができます。僕だけでなく、他人も。みんなでやりたいように生きたほうがいい。

誰しもの個性を大事にしたい僕の考え方は、ここで定まったように思います。

 

ちなみに部活は、運動嫌いだったこと、日本史が好きだったことから歴史研究部を選択。中二病の発病により途中で一度退部したものの復帰をし、高1まで入っていました。

が結局、高1になった冬に再び退部。帰宅部のたまり場と化していた文化祭の実行委員会に入り、模擬店で焼きそばを焼いていました。

なんだかんだ、いろいろ楽しかったです。荒れたりもしたけれど学びも多く有意義な中高生活だったと思います。

 

はたけの
はたけの
男子校だったせいで、女子と無縁だったのが悔やまれます。ナンパできるマンになっておけばよかった。

 

大学時代:人生の岐路になった進路選択

大学の学部は文学部大好きな日本史の研究者になるつもりでの進学でした。高3のときにとある模試で日本史の偏差値が80に達したことがあるほど、僕は日本史フリークだったのです。

学校の夏期講習で日本史の講座をとったときには、先生に「冷やかしならやめてくれ!」と言われましたw

 

その一方で、入学前にアニメを見まくってしまったことがきっかけで急なアニメオタク化が進行。特に「新世紀エヴァンゲリオン」は衝撃的で、洗脳を受けたような思いでした。

 

コミケに行かないと、夏が終わらない! 年が越せない!

1年ほどの時間をかけて、僕は絵に描いたようなオタクに成長を遂げたのでした。

はたけの
はたけの
オタ芸も余裕でできます。

 

さて、アニオタになってしまったことが引き金となり、専門分野は映像を選択。

1年生の際に受講した日本史関係の授業が決定的に面白くなかったことも影響していますが、これはかなり大きな分岐点となりました。

日本史を専攻していたら一直線に研究者を目指していたと思いますし、このブログも作っていなかったでしょう。

直感的な判断ではありましたが、人生を最も大きく左右する進路選択でした。

 

さて、その進路選択の結果、最高のクラスメートに恵まれます。

頭がよくて優秀なのに、遊び方はもちろんお酒の飲み方はクレイジー。

一生モノの友達ができきました。

学歴が通用しなくなってきたいまの時代、大学に行くメリットは薄れつつありますが、優秀な人たちとのつながりを得られる点は捨てがたいと思います。

早稲田は日本2位の学生数を誇るマンモス校ですし、個性的な人がたくさんいて、多くの出会いに恵まれました。

友人たち社会人になってから、大学の友人たちと。僕、髪が長くて太ってますねw

 

しかし、大学に入ってからずーっと順風満帆というわけではなく。

大学3年生のクリスマスイブに盲腸&腹膜炎で入院、さらに4月には腰の骨を折り、就活なんてするどころではなく休学。

次の年に就活をしてネット系広告代理店から内定を得るも、あきらかにブラックくさかった、どうしても出版社に入りたかったがために教授に単位を落としてもらってさらに半年間就職浪人。

翌年の就活でなんとか出版社に滑り込み、1.5年遅れて卒業しました。

あほな友人たちと終電の駅のホームで大学の友人たちと。なにやってんだwちなみにこのときみんな社会人ですw

 

ちなみに出版社に入りたかった理由は、「個性を輝かせる仕事をしたかった」から。

本は、作家さんやイラストレーターさんなど様々な方々が作った個性の結晶です。そこに編集者としての自分の個性も合わさって「世界だけの1冊を作るぞ……!」という意気込みでした。

いま考えれば、殊勝かつ無謀な考えだと思います。

実際、僕の意気込みそのものは間違っていませんでした。出版編集の仕事は、多くの人の個性を編みオンリーワンにまとめ上げる仕事だと、身をもって体感できたのですから。

一方で働いていくなかで、別の違和感を感じるようになりました。

はたけの
はたけの
日本史の研究者になっていたらどうなっていたんだろう、と考えることはいまでもあります。

 

社会人1社目:残業100時間オーバーで過労死ラインを実体験

就職留年まで経験しながらも、出版社の採用になんとか滑りこんだ僕。

それも比較的大手な出版社に採用してもらうことができました。

 

1年目に配属されたのは、男性向け情報誌の編集部。

会社の主力雑誌であり、かなり厳しい編集方針を持つ事で知られていたその雑誌は、新人編集者を叩き上げるにはベストな環境でした。とはいえ、こちらは”たたき上げられる側”。

一言で表すと、とってもつらかったです。

社員証僕を採用してくれた出版社の社員証の写真

 

編集部に配属された直後、初めて上司と飲みに行った際、

上司
上司
「いま付き合ってる彼女はいる? いるなら別れないほうがいいよ。これから彼女作る時間ないからw」

と言われたのを印象深く覚えていますが、1年目は本当に自分の時間がありませんでした。

一番お世話になっていた先輩が過労で体調を崩し、大量の仕事が僕に降ってきて記録した、月単位の最大の残業時間は約130時間。

残業時間100時間が過労死ラインと言われている事実を、身をもって体感しました。100時間残業の世界に入ると自分の時間のみならず睡眠時間を削って働いている、つまり「働くためだけに生きている状態」になるんです。休日出勤or会社泊でもしないと、残業100時間なんて乗らないですからね。

 

はたけの
はたけの
ちなみに、社会人1年目の夏、当時付き合っていた彼女と別れました。
残業時間

 

とはいえ、仕事自体は楽しかったのです。

芸能人には仕事で会えるし、インタビュー取れることもあるし。

面白そうな企画を立てて、編集長の承認さえ得れば好き勝手できました。

ですが、生活のすべては仕事で、自分の時間ゼロ。このくらいまで働くと「働くって何なんだろう」という哲学的な問いによって脳内が支配されていきます。

2年目で超絶ホワイトな部署ー電子書籍チームに異動したあともその問いが消えることはなく、3年目の秋、再び多忙な部署であるアニメ事業チームに異動となりました。

もともとオタクだった僕にとって、アニメ事業は個人的にとても興味のあるものでした。

実際、コミケで腐女子の行列に呑まれながら商品を売りさばくのは、キツいながらもとても面白い経験でしたし、自分かイラストのラフ(原案)を作った男性アニメキャラの抱き枕カバーが即日完売して吹いたこともありました。

いきなり未経験でアニメ業界に入ったのできついのは事実でしたが、有意義な経験だったのは間違いありません。

 

しかし結局、このアニメチームへの異動が結局「会社を辞める」きっかけになりました。

1年間隔という短期での異動が僕に喚起したのは、

はたけの
はたけの
この会社に勤め働き続けて、僕はどんな人間になるのだろうか?

という疑問。

将来のビジョンなくして、目の前の仕事に集中できるわけがありませんからね。

社畜とも揶揄される会社員は、自分の将来を会社と共有して働いています。僕は「会社とビジョンの共有ができていないのではないか」と、強く疑問に感じていました。

 

異動の内示をもらったすぐあと、会社の偉い方にその想いを素直に話し、異動の理由を尋ねました。そこで返ってきたのがこの言葉です。

会社の偉い人
会社の偉い人
儲かるところにキミをおいておきたいんだよね

これを聞いた瞬間、「あ、こりゃ価値観を共有できないな」と思いました。

僕がしたいのは、「なんでもいいから儲ける」ことではありません。

僕がしたいのは、「個性を活かして働く」ことです。

この一節だけを読むと、「僕はとんだ夢想家だなあ」と我ながらに思います。「個性を活かした仕事って何よ?」と聞かれたら、具体的な答えを出すことはいまでも難しいです。

 

無謀なことはわかっていました。それでも会社を辞める勇気を僕に与えるには、もう十分すぎるほどの乖離でした。

正直待遇も悪くなかったですし、世間的に見てもいい企業なのは間違いありません。

が、僕は会社を辞めました。

 

社会人としての基礎、編集者としての矜持を叩き込んでくれたこの会社への感謝を忘れることはできません。

最終出社日に採用時僕の面接を担当してくれた役員から「俺がキミをとったんだよ……!」と言われたときは、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

でも、自分の将来が分からない働き方が悲しかったのです。

はたけの
はたけの
僕はこの会社のおかげで社会人になれました。だから感謝しかありません。

 

 

ちなみに、社会人2年目にホワイトな部署で働いていたとき、7か月で-18kgという超絶ダイエットに成功しました。そのあと20㎏リバウンドしたんですけどねwww

そのときの成功と反省が凝縮された汗と涙の記録もこのブログに書いていきますので、痩せたい方はぜひ参考にしてください。

 

痩せていた頃の僕一番痩せていた頃の写真。いまとは別人

 

太った僕無事、リバウンドしました。

 

社会人2社目:ストレスで人は倒れる

ダイエットの話題とは打って変わって、またお仕事の話です。

僕が転職したのはIT業界。

1部上場の大手の会社で、エンターテイメント系のアプリの運営を担当することになりました。

しかし、転職3か月後くらいからストレスが原因で体調を崩すハメに。

そのストレスの原因は大きく分けて3つありまして、

・1つめ:上司と決定的に思考が合わなかったということ。

・2つめ:裁量労働制なのに労働時間が実質決まっていたこと。

・3つめ:会社の方針でやりたい仕事ができなかったこと。

という内訳です。

ひとつひとつ紐解いていきます。

 

ストレッサーとして一番大きかったのが、1つめの「上司と思考が合わなかった」という点です。

超絶仕事ができるこの上司はかなりの理論派。一方の僕は理論派というより感覚でとりあえず動くタイプです。

これ、どちらが正解というものはないのですが、組織の中で仕事をすると当然上司のイズムが優先されることになります。すると、当然僕の考え方とは無為な対立を引き起こすわけです。

ロジックが完ぺきに通らないことはできないですし、「とりあえず面白そうなこと」を実行することもなかなか叶いません。

上司はいままで僕が見たなかでも最も仕事ができる人で、恨むどころかむしろ尊敬の念しかないのですが、でも一緒に働くという点では相性が合いませんでした。

はたけの
はたけの
僕にもうちょっと柔軟性があればよかったなと思うのですが、頑固なもので。

 

2つめの「裁量労働制なのに、労働時間が実質決まっていた」という問題。裁量労働制によくある話なのですが……完全な労基法違反ですね。

そもそも、裁量労働制とは出版の編集者や、放送関係のプロデューサーなど、一部のクリエイティブな職種に限って導入が認められている制度で、「会社が残業代を出さない代わりに、出社時間も退勤時間も自由。仕事の進め方も指示してはならない」というものです。

なので、本来、裁量労働制で働く社員に「遅刻」や「早退」なんて無いんですよ。いつ会社に来てもいいし、勝手に帰ってもいい。

なのに、なぜかその職場では11:00~20:00は会社にいようという不文律がありまして。11:00につかないと「遅刻」、20:00より早く帰ると「早退」だなんていわれるわけです。ひどいときには11:00~20:00までずっと会議だなんて日もありました。

こんなんじゃ会社にいざるを得ないですし、裁量もへったくれもありません。

おまけに持ち帰り残業推奨で、早く帰ってもみんな家で仕事をしているような文化。Slackに反応しないとなぜか怒られますし、こちらも家で仕事をしなければならないというようなプレッシャーに晒されます。

さらには仕事の進め方にもバリバリ指示があって、むしろ「裁量ってどこにあるの?」といった感じ。

上に書いたように露骨な労基法違反で、証拠をそろえて労基署に訴えれば臨検の対象になるレベルです。(労基署の方に言質をとっているので間違いありません)

その前に僕が倒れたので実際に臨検を求めるまではしませんでしたが。

はたけの
はたけの
裁量労働制で苦しんでいる方は、労基署へ行ってください。

 

3つめ。会社の方針でやりたい仕事(=個性を活かす仕事)ができなかったこと。

僕が任されたのはアプリ内のコンテンツの制作ではなく、数値管理や他社営業など内部の運用でした。いわば歯車です。

アプリ内のコンテンツ制作は僕がその職場にジョインした当初はチーム内でやっていました。でも僕はコンテンツ制作にまったくタッチしないまま、入って2か月ほどでグループ会社に委託することになりました。

 

そもそも編集者であった僕は、「コンテンツを作る仕事」がしたくてこの職場に来たのですが、ふたを開ければ会社は違うことを僕に期待していたわけです。

おまけに上司は

上司
上司
誰が同じ仕事をしても、同様のクオリティで上がってくる組織が一番いいね

ということをよく言っていました。

会社は僕が高性能な歯車になることを望んでいたわけです。

これも僕の思考とは真逆。入社前と入社後のギャップというのは転職あるあるの話ですが、僕のケースではこれがかなりでかかったですね。

これから転職をするという方は

「自分が入ったらどんな仕事をするのか?」

「自分にどんなことを期待して採用するのか?」

といったことをしっかり確認したほうがいいでしょう。

このようなミスマッチは、自分はもちろん採用してくれた会社も幸せになりませんからね。

 

さてさてそんなストレスにモロにさらされた僕は、転職してから半年後にストレスで倒れたように動けなくなり、休職することになりました。

月130時間近い残業を経験していた僕にしてみればストレスで倒れるなんて考えたこともなかったのですが、ストレスで人って倒れるんですよ。

 

その際についた病名は「不安障害」

サッカー日本代表選手の柴崎岳が、スペインのラス・パルマスに移籍した直後に発症したのと同じ病気で、ストレスなどが原因で不安感が異様に増幅し、発作的に動けなくなってしまうというものです。

ストレスで人は倒れます。身をもってその事実を知った僕は、組織の中で働くということに絶望すら覚えました。

自分に合う会社を見つければよいですが、ミスマッチが起こると地獄。就職はレア封入率の分からないガチャみたいなものですね。

はたけの
はたけの
組織社会が本当に嫌いです。

 

ブログスタート:自ら発信者になることにした

休職してからしばらくは、病気の影響もあって抜け殻のような日々を過ごしました。

そんなときに出会ったのがブログです。

 

僕は、「個性を活かした仕事をする」という漠然とした目標を持って社会人になりました。

社会人1社目では出版という枠組みでその夢にチャレンジ。でもブラックな労働環境に陥ることになりました。

当然の話ですが出版なんて斜陽産業。本なんてなかなか売れません。

もはや自分で発信してしまったほうが早い時代になっていたんですね。

転職後、2社目で組織への絶望を抱いた僕は、自分にしかできないものを自分の手で作ることにしました。それがこのブログです。

自分にしかできないものを作るのなら、編集者だろうが著者だろうが立場なんて関係ありません。

自分勝手に、好きなことをつらつらと書いていきます。

はたけの
はたけの
1回挫折して更新が止まりましたが、復活しましたw

 

独立:可能な限り好き勝手に生きてみる

話はまた仕事に戻ります。

倒れてから4か月がたったころ医師から復帰可能の診断が出て休職が明け、僕はリハビリではありますが会社に復帰しました。

が。。。

 

以前勤めていたときとは職場の陣容がかなり陣容が変わっていて、複数の人が会社に不満を抱いたり、身体を壊すなどして退職していました。

そのほかにも心身の不調から休職を余儀なくされる方もいて……

はたけの
はたけの
この職場に戻るのはアカンな

と直感的に思いました。

 

しかも僕自身がそんな職場に復帰したことによってせっかく戻っていた体調が崩れ始めており、会社に戻る気が完全に失せました。

結局、休職期間満了と同時に退職。ライター・ブロガーとしてフリーランスでやっていくことにしました。

 

時に、2018年3月のこと。

いまこの文章を書いているのはその3か月後ですが、「自分勝手に生きる」と決めてから、多くのことが好転しているように思います。

収入面では、会社員をしていた頃よりへこんだのは事実です。

でも、生きる理由を手に入れることができました。

 

これから収入面では、色々と策を打っていかなければいけませんが、

はたけの
はたけの
いまに見ていろ! 好き勝手に生きて、生計を立ててやる!!

 

そんな心情でキーボードをたたいています。

 

将来はムツゴロウさんを目指します。

いまの僕が、「将来の夢は?」と聞かれたらこう答えます。

 

「35才までに、爬虫類バーを開きたい」

 

35才というのは、人生の一区切りがこれくらいにあると思うからです。

いわゆるアラフォーですし、転職市場での価値も35才を過ぎると下がるといわれています。

おまけに、独身男性は35歳を過ぎると、生涯未婚率が89%にもなるそうです。ヤバ。

だから、何をするにしても35才までには生き方を決めたいんです。

 

そして、なぜ「爬虫類バーを開きたいのか」というと、それはもう単純に、僕が爬虫類とお酒が好きだからですw

また、それとは別に、自分勝手に生きたい人たちが語り合える場所を開きたいという思いもあります。

僕の世界を具現化したともいえるそのバーに、僕の大好きな爬虫類たちを住まわせて……爬虫類を布教したいという思いもありますw

 

ちなみに、動物たちと過ごしたいという意味では、僕の目標はムツゴロウ(畑正憲)さんです。

彼とは意外な縁もあって、ムツゴロウさんは僕が最初に入った会社の大先輩なんですよ。

それに彼は日本プロ麻雀連盟設立にかかわった伝説的な雀士で、麻雀が大好きな僕としてはその点でもぴったりかなと思うわけです。

 

あとは、京都に移り住みたいなーと思っています。

適度な自然があって、文化も積もった町。

夏はじめじめ暑くて、冬は雪も降って寒いけれど、それもまた個性。

鴨川の川辺は特に大好きで、住むなら出町柳周辺の鴨川デルタが最高だなと思っています。

史跡もたくさんありますし、日本史が好きな僕にはぴったりです。

おまけに、阪神甲子園球場から延長戦があっても帰ってこれる立地で、阪神ファンとしては最高です。

はたけの
はたけの
もう京都住むしかない!

 

最後に

清水の舞台にて。首に肉が浮いているのが悔やまれます。

 

さて、16000字以上書いてきたこのプロフィールも、そろそろ〆にしたいと思います。

現在の僕の姿、詳しいおいたち、そして将来の夢と、自分という人間を振り返りながら、つらつらと書いてきました。

ここに書いた将来の夢が叶うよう、好き勝手生きながらも、僕が価値があると思う情報を書き連ねていきます。たまには駄文もあるかもしれないけれど、書きたいことを書いていきます。

さて、これで本当に最後です。

 

ここまで読んでくださったあなたに心からの御礼を。

はたけの
はたけの
あなたの貴重なお時間を、僕のプロフィールを読むために割いてくださって、ありがとうございます!

 

ここまで僕を知ってくださったあなたとはぜひ仲良くなりたいと思います。

Twitterもやってますので、お気軽に声をかけてくださいね!

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